「第一の不動の動者」になりたい
そう思う人、そう思った人は沢山いるらしい
「第一の不動の動者」は古代ギリシャの哲学者アリストテレスの「形而上学」に出てきます。
不動の動者は、自らは動かずして他者を動かすもの
そしてその大親分が「第一の不動の動者」であります
「第一の不動の動者」とは絶えず自己を思惟・観照している純粋理性
すなわち、「神」と呼ばれるもの
「神」になりたい、恐らくは無理
それならば、せめて「神」に直接逢いたい・感じたい
その思いに憑りつかれた者は
何億光年先の宇宙・霊的世界・パラレルワールド・現在過去未来を
時空を超えて自由に飛びまわる
現実世界の自己が少しずつ壊されて現実感が薄れていく中でさへ
現実世界で生活をしていかねばならないことは難しく、苦しく道程
自己の中の全てを頭の中であるべき場所に正しく置いていく作業
そして最後の一手を投じる そこに広がる
圧倒的な恍惚感、そして 絶望的な喪失感
「神様の偽者」だと知ったとしても 忘れない存在に感じてしまう
険しい茨の道を歩んで来た末に辿り着いたのは元の場所
しかし、今まで見て来た世界が輝き出し愛おしく想う自分がいる
「神」には逢えなかった、感じた何かは「神様の偽者」?
この感覚が「覚り」というものなのだろうか
冒頭に「第一の不動の動者」になりたい
そう思う人、そう思った人は沢山いるらしい と書きましたが
多くの小説家・宗教家・詩人・ミュージシャンの発言や作品の中に
前述の「覚り」に至る過程が織り込まれて世に出ています
「覚り」は特別なことのように扱われることも多いですが
それは、単なる人間の思考作用の一つの産物であり
「覚り」の後にどう生きていくかが 本来考えられなければならないこと
スタートラインで もたついている場合じゃない!