世間では新党結成で騒がしいですが...
「覚り」に至る道は、結構険しく難しい道程のような表現を散見します。
多くの方が苦難を乗り越えた先にあるであろう光を求め彷徨います
さて、その光とやらは求めて進めば誰もが見ることが出来る光なのだろうか
それとも、限られた者だけに許された光なのだろうか
もしもある素質により その光に至る者とそうでない者が決まるのであれば
素質を持たぬ者がその光を求めることは「希望」ではなく「非望」だと言える
また、その光に至ることが出来た者は その光が「神様の偽者」であったことを知り
光を追い求めた己の「希望」が「非望」であったことを思い知る
「希望」に至らぬ「非望」 そして 「希望」の先に見る「非望」
その間には、如何ほどの隔たりがあるというのであろうか