スピッツさんの曲の中でも「運命の人」は好きな曲のひとつです。
そんな「運命の人」の歌詞を私的に解釈していきたいと思います。
バスの揺れ方で人生の意味が解かったとありますが、「バスの揺れ方で」というのは「ひょんなことから」位の意味、もしくは 人生とはバスに揺られて進むのに似て自分の意思とは別の力が作用することを意味しているとも取れる。
「愛はコンビニで買える」、ここで言う「愛」はある意味「悟り」に近いものと考えます。そして「コンビニでも買える」は簡単に手にすることが出来る事の喩えと解します。
「変な下着」は簡単に手に入れたものが思っていた物とは違う(変な)ものと気付いて、その為「夢がはじけて」その滑稽さに「たたき合って笑う」に続きます。
「無料(ただ)のユートピア」は前述の「コンビニで買える変な下着」を指しており、つまり 簡単に手に入るけど滑稽で本物では無い悟りと解します。
そんな「無料のユートピア」を横目に通り過ぎる。「汚れた靴」は、簡単に手にするのではなく 自力で歩き回って「本物」を探すことを意味していると思います。
晴れて希望通り「投げたボール」が届いた「向こう岸」とは?
「向こう岸」とは「彼岸」のこと、つまり「覚り」のことだと思います。
希望通り届いたのに「涙目 茜空」、「悲しい話は消えない」と言うのでしょうか。
それは、辿り着いた先は「本物の神様」ではなかったと知り、消え去った残像に想いをはせているようなことでしょう。
と言いつつも「もっと輝く明日」と明るく続くのは、めぐり逢えた「偽者の神様」でも自分にとっては大切な「運命の人」。
「運命の人」とは「偽者の神様」。
簡単に手に入る「悟り」なんかには惑わされず、自力で「神様」を探す。
宇宙の果てでは無く、「この地球の果て」までとしているのは 自分が人間であり決して「本物の神様」「第一の不動の動者」になることは出来ないという限界を知ったことを感じ取れる。
ひょんなことから人生の意味を覚ったけれど、今まで体得した色々なことは たとえ思っていた物と違っていたとしても大切な物。
簡単に体得できると言われるような「悟り」には目もくれず進んで行く。
「覚り」の地で、君は本物の神様では無い事を知ってしまっても 君は「運命の人」、ともに歩み気付かせてくれた大切な人。
そんな「運命の人」と更なる高みへ「この地球の果て」まで生きていく。
まさに「運命の人」は 新興宗教に勧誘されている人に聞かせてあげたい1曲です。