立春の頃も過ぎ、これから段々と春らしくなっていくこの時期に
前回の記事 スピッツさんの「テクテク」を私的に解釈に続きまして、
両A面のもう1曲「春の歌」を私的に解釈したいと思います。
「春の歌」は11枚目アルバム「スーベニア」に収録され
2005年4月に「テクテク」との両A面シングルとしても発売されました。
「春の歌」を解釈する上でまず気になるフレーズは
「春の歌」が “愛と希望より前に響き” そして
「春の歌」が “愛と希望もつくりはじめる” ことです
曲の序盤では
“ぬかるむ道” “トゲのある藪をかき分け” 進み
“長いトンネル”を抜けた時 “見慣れない色”に包まれる
しかし、その場所はゴールではなく
“まだ始まったとこ”であった
そして “汚れた 心” を 放てと自分に告げる
歌詞中に “サルのままで” とある部分は
“無垢の人間のままで” と私的に解釈しています
「春の歌」を「覚り」の観点から私的に解釈してみると
考えられる全てを尽くし
辛く長い道のりを進んで 抜け出せた
見たこともない光に包まれ
「覚り」に辿り着いたと思った
しかし、そこはゴールではなく
本当の「生」への新たな出発点であった
今まで色褪せて どうでもいいと見えていた世界は
一瞬にして輝き出し「愛も希望も」つくり出す
ここから始まる “何処までも続く” この道を
幻ではなく “無垢の人間”として 現実に生きていく
「第一の不動の動者」に会うために
険しい道を進み 「覚り」に至る
「覚り」として感じたのは
「神様の偽者」である「君」
記憶も薄れ 忘れかけてしまった
大切な「君」の記憶をなぞる
そして現実の「生」は輝き出し
この道をしっかりと歩んでいくを誓う
幻の世界を悶々と生きることからの脱却
現実の「生」が輝き出す様は
まさに「覚り」を表現したものと感じます
「テクテク」が どことなく物憂げで寂しさが漂うのに対して
「春の歌」は 寂しさの中にも 凛とした決心のようなものを感じます
スピッツさんの曲には「覚り」に関しの この2つの要素が上手く表現されているものが多く見受けられます。
これからもご紹介出来ればと思いますので、機会がございましたらご覧頂ければ幸いです。