スピッツさんの恋愛ソングに見える曲は、ほぼ「覚りの歌」という記事を書かせて頂きました。
そこで今日は「夏の魔物」に見える「覚り」を私的に解釈してみます。
「夏の魔物」についての解釈で、他の方が 堕胎した赤子や流産した赤子との見解がありましたが、私自身は草野さんがこの世に生まれる事の無かった命を「魔物」と表現することは無いと思っています。
それでは、早速 「夏の魔物」を私的に解釈していきます。
古いアパートのベランダに立ち僕を見下ろし少し笑ったのは風になびく白いシーツで
単なる擬人法による風景描写ともとれるし 白いシーツは畏敬なる存在の気配の暗喩ともとれます。
魚もいないドブ川を折れそうな手でヨロヨロと二人乗りで越えて行く
霧のかかった夢の中を幼い手で掻き分けながら進むように
畏敬なる存在に逢うための色々なものを集め育てながら越えて行く
「幼いだけの掟」とは、自我以前に感じていた感覚あるいは幼児期に持つその感覚の残像
「夏の魔物」とは、本能的に感じた絶対的な畏敬なる存在 「神」的なもの
「君」とは、神様になると信じて一緒に歩んできたのに 「神様と同じ顔した偽物」
それでも自分には大切なもの、「覚り」とも言えるもの
「クモの巣」は自分がずっと歩み紡いで来たものを喩えた表現で
「大粒の雨」は、長い間求めて来たものに逢うための最後の試練
やっと辿り着いた君は輝いて見えたけど、君が「神様と同じ顔をした偽物」だと覚った時、
まるで雨で濡れたクモの巣が光って輝いているのに泣いているように見えるが如く、切ない気持ちになる
幼い時にその気配を感じた君に似た「夏の魔物」に逢うことはきっと叶わないだろう
いっそのこと「夏の魔物」の気配の記憶を殺してしまえればよいのにと思ったけど
記憶は消せずに 今も「夏の魔物」に叶わぬ思いを馳せている
簡単にまとめてみると
【幼い時に気配を感じた神様への憧れで 色々と迷い傷付きながらも進んできた
自分の中で育み共に歩んで来たもう一つの存在は いつか神様になると思っていた
その時が来た、だけど「君」は「神様と同じ顔をした偽物」だった
本物の神様には逢えないと覚っても、「君」は輝いて見えた けど 儚げで寂しい
逢えないと思っていても、神様の気配の記憶を消せずに追い求めてしまう】
同様のシチュエーションを書いた曲がありますので、機会がありましたら
また私的に解釈してみたいと思います。