乃木坂46

乃木坂46さんの「逃げ水」を私的に解釈

投稿日:2017年10月26日 更新日:


乃木坂46さんの「逃げ水」の歌詞を私的に解釈してみます。

「逃げ水」とは蜃気楼(mirage)の一種で遠くに水があるように見える現象。
近づいても水は無く、さらに遠くに見え まるで水が逃げているような様から
「逃げ水」と呼ばれている

ミラージュ 見ている物が真実でも幻でも構わない
たとえ「君」が「神様の偽者」だとしても
確かに感じた それを僕は追いかける

「逃げ水」のミュージックビデオは
伊丹家を舞台に不可思議な世界が映し出されている

「伊丹家は不可思議な屋敷です。何を見ても決して驚かぬように」と言われ、屋敷の中へ
伊丹家では 「パン派」と「米派」がおり、まるで矛盾する意見が頭の中にあることを象徴するかのようだ
また、齋藤飛鳥さんがするアイマスクに「Itami」と書かれている物も何らかの意味があるのだろうか?
大事なもの「君」(真理・神的なもの)は逃げ水のように届きそうでなかなか届かない
長く険しく辛い道程を「痛み」と表現しているとも思える。
「itami」を区切ると「it am i」となる、本来は人称代名詞では倒置は起こらないようですが 仮に「I am it」を強調倒置したとすると 「それなんだ、私は」となる。

「覚り」や「達観」の境地に至った人がその状態若しくは神的なものの幻影を表現するのに
「それ」「あれ」「これ」といった言葉を使うことを併せて考えると
つまりは 「神的なものと一体化した」とか「覚った、私は」 という「超自我」を暗に表現しているのだろうか

また、MV中では部分部分で数人が同じ動作をしていたりはするが、
各自それぞれが思うように踊っていたり、何らかの動作をしている
しかし最終的にはメンバー全員がシンクロし統一感を持った踊りを披露している

頭の中で最初はバラバラだったものが部分的に纏まったり またバラバラになったりを繰り返しながら 最終的に一つに纏まり結実する まるで「覚り」へのプロセスを表しているかのよう
そして、MV最後は今までの出来事は全て夢の中での幻影とでも言うか如く センターの二人の昼寝姿

届きそうで届かない、見えているのに触れることが出来ない幻影を表現する言葉として
「蜃気楼」や「花火」などを用いずに 情緒ある日本語の「逃げ水」を使うあたりがなかなか憎いですね

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