目次
米津玄師さんの「馬と鹿」はドラマ「ノーサイドゲーム」主題歌として使用され、またドラマの内容がラグビーに関係したものであったため、「ラグビーワールドカップ2019」等のラグビーに関連したシーンで数多く使用されております。
まずタイトルの「馬と鹿」から受けた印象は、「神馬」「神鹿」といったような「神の使い」の神聖なイメージ。そして 俗的な「馬鹿」、知能が足りない、取るに足りないつまらないものといったイメージが思い浮かびます。
ラグビー関連で言えば、馬はトライを狙い俊敏に走る様を そして鹿の角はスクラムをイメージさせます、ジャケットのイラストは馬と鹿が融合したものでラガーメンを表している物かとも思えます。
「馬と鹿」が表現する物は、「神聖なもの」「つまらないもの」、それとも両者なのか両者以外の何かなのか、歌詞を私的に解釈していきたいと思います。
歪んで傷だらけの春
麻酔も打たずに歩いた
体の奥底で響く
生き足りないと強くまだ味わうさ 噛み終えたガムの味
冷めきれないままの心で
ひとつひとつなくした果てに
ようやく残ったもの引用元「馬と鹿」作詞:米津玄師
深く険しい茨の道を痛みも何もかもありのまま受け入れて歩き続けた
辿り着いた場所に達成感や終着感は感じたものの、生き足りなさがこみ上げてくる
「彼の地」に辿り着いた高揚感の余韻を求めるかのように
“噛み終えたガムの味”を確かめる
本当に大事なものを求め、多くの物を捨てて来た先に
ようやく残ったもの
これが愛じゃなければ何と呼ぶにのか
僕は知らなかった
呼べよ 花の名前をただ一つだけ
張り裂けるくらいに
鼻先が触れる 呼吸が止まる
傷みは消えないままでいい引用元「馬と鹿」作詞:米津玄師
ひとつひとつ失くしていった先に辿り着いた先「彼の地」が
「愛」でなければ その名を何と呼べばよいのか分からない
ようやくのこったもの =「愛」
辿り着いた先「彼の地」や「彼岸」である 覚りの境地で出逢えたもの
森羅万象の根源・原理そのものである「第一の不動の動者」=「愛」である
「愛」=「花の名前」だけを張り裂けるくらいに叫べばよい
そして「愛」にふと触れた瞬間 全てが止まる
茨の道を歩んだ果てに辿りついた「彼の地」
そして そこで触れて感じた「愛」
恍惚感の後に襲う喪失感や空虚感
そのすべての「痛み」を心身に刻み込んで生きたいから
消えないままでいい
疲れたその目で何を言う
傷痕隠して歩いた
そのくせ影をばら撒いた
気づいて欲しかった引用元「馬と鹿」作詞:米津玄師
辿り着いた先で見た「愛」は幻影であったと知ってしまった空虚感
そんな疲れた目で どう進めばよいのだろうか
「傷痕」= 消えないままでいいと思った痛み
そんな痛みを隠すように生きて来た
その反面 辿り着いた場所で「愛」の幻影・「神様の偽者」を見たことを
気付いて欲しくて ほのめかす自分がいる
まだ歩けるか 噛み締めた砂の味
夜露で濡れた芝生の上
はやる胸に 尋ねる言葉
終わるにはまだ早いだろう引用元「馬と鹿」作詞:米津玄師
辿り着いた先に感じた空虚感
この先へと進んで行けるだろうか
夜露で洗われた芝生は まるで真っ新な世界のようだ
その上に立ち 自らに問う 「ここで終われるのか?」
「否、先を目指す」
誰も悲しまぬように微笑むことが
上手くできなかった
一つ ただ一つでいい 守れるだけで
それでよかったのに
あまりにくだらない 願いが消えない
誰にも奪えない魂引用元「馬と鹿」作詞:米津玄師
「誰にも奪えない魂」そんなものの為に
誰かを傷つけたりして生きて来たかもしれない
そんなもんの為に 上手く生きて来られなかったかもしれない
けれども その一つ ただ一つだけの 純粋なる魂
それを守り続けることしか出来なかった
あまりにくだらないこと
でも それしか出来なかった
何に例えよう 君と僕を 踵に残る似た傷を
晴れ間を結えばまだ続く 行こう花も咲かないうちに引用元「馬と鹿」作詞:米津玄師
君と僕 ずっと共に歩んで来た道
その道程で刻み込まれた似たような踵の傷
さあ行こう その先を目指して
これが愛じゃなければなんと呼ぶのか
僕は知らなかった
呼べよ 恐れるままに花の名前を
君じゃなきゃ駄目だと
鼻先が触れる 呼吸が止まる
傷みは消えないままでいいあまりにくだらない 願いが消えない
止まない引用元「馬と鹿」作詞:米津玄師
「馬と鹿」の歌詞を私的に解釈すると
テーマは、「覚り」への到達とその先へと考えられる
一般的に「覚り」や「彼岸」に辿り着くには
精神的に大きな痛みや歪を伴うことが多いが
到達した際の恍惚感からその痛みは消える(忘れる)
ところが その「覚り」や「彼岸」への到達は幻影であったことを知った瞬間
恍惚感は喪失感や空虚感へと変貌する
とはゆえ、恍惚感は残像のように感覚に残る
歌詞の “まだ味わうさ 噛み終えたガムの味” “さめきれないままの心で” 部分がまさにその感覚を表現していると感じます。
辿り着いた先で見たものが「幻影」であったと気付いた空虚感
恍惚感で忘れていた「痛み」の揺り戻しと合わさって
その空虚感は大きな「痛み」「傷痕」として刻み込まれる
ただその幻影が「神様の偽者」であったとしても
そこから感じ取れるものは「愛」としか呼ぶことの出来ない絶対的なもの
「偽者」でも「幻影」でも構わない 圧倒的な何かである
今まで歩んで来たすべて、その内にあるものが「傷痕」「偽者」「幻影」であったとしても
それらすべてを内包し それらすべてを超越して その先を目指し魂が震え出す
そんな魂の衝動は くだらないものかもしれないが
止むことなく 私をその先へと突き動かす