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ポルノグラフィティさんの「アゲハ蝶」を私的に歌詞解釈

投稿日:2017年9月5日 更新日:


私的に歌詞解釈 特別編は ポルノグラフィティさんの「アゲハ蝶」です。

本ブログが 古代ギリシアの哲学者アリストテレスの「第一の不動の動者」を中心に書いていますので
歌詞中の「君」について 私的に「第一の不動の動者」を絡めて解釈していきます。

こてまでの私的に歌詞解釈の曲と同様に ここで言う「あなた」は「第一の不動の動者」や「真理」や「神」のようなものと考えられます。

「アゲハ蝶」という言葉には私自身に特別な思いがありますので、少し書かせて頂きたいと思います。
「第一の不動の動者」について考えるきっかけが、まさに「アゲハ蝶」だったからです。

それは、私がまだ幼稚園入園前だったので3歳くらいのことだと思います。
兄が通う幼稚園への送り迎えをいつも さぶろうおじちゃんが車でしてくれていました。
私は同乗してお迎えに行くのが好きで、いつも付いて行っていました。
兄の通う幼稚園の向かい側には大正時代か昭和の初め頃に建てられた復興小学校があり
さぶろうおじちゃんが兄を迎えに行っている間、小学校の植え込みに蝶の幼虫がいて観察をしていました。
幼虫から蛹、そしてアゲハ蝶へと成長をするのを楽しみに見守っていました。
「アゲハ蝶」の成長を見て私は、「何と短い一生、卵からあっという間に蝶に成長し卵を産み付け死んでいく」
何のためにこんな短い時間を生きたのだろう、どんな楽しみがあったのだろう「アゲハ蝶の生きる意味って一体何なんだろう?」
その瞬間、その問いは自分自身へと返ってきた 生きる時間の長短はあるけれども根本的な部分は一緒ではないか
「自分が生まれて来た意味・何のために生きていくのだろう?」を考えるきっかけになった出来事でした。

歌詞の中の「アゲハ蝶」は人生や世界や宇宙を含めた全ての存在やその根源・在り方を例えたものと思われます。
「アゲハ蝶」はヒラリヒラリと私の前に現れた。旅人にどこまで行くのかいつ終わるのと問うが旅人は終わりなどないさと答える。
旅人は未だに還ってこないが、その旅人への問い掛けは自分自身へのものであったことに気づく。
「あなた」(=「第一の不動の動者」や「真理」や「神」)に逢えた(と感じた)だけで、世界に光が差し輝きだした。

詩人の一片の言葉は、同じ経験をしたもの(「友」)に届けばいいと思う。出来る事ならば「あなた」に届いてくればと思うがそれは叶わぬことだろう。
「あなた」を求め続けることは、まるで進むことも戻ることも出来ず終わりも無い、観客もいないあまりに残酷な舞台にただ一人自分だけが永遠に立ち続けるようなものだ。
「あなた」に私の想いのひとかけらでも届くのであれば、私の身など喜んで差し出す。
でも、それでも叶わないことを解かっている、「あなた」の幻影の向こうには誰も触れられない彼の地(オアシス)がある
乾いてひび割れた心に水で潤して欲しい、出来ることなら「あなた」に愛されたい(一体となり同化して「あなた」の全てを知りたい、教えて欲しい)
肩で羽を休めるかのごとく、また私にそっと「あなた」を感じさせて欲しい

「君」との出逢いについは 他のアーティスト作品にも同様に解釈出来るものがありますので
今後も私的に解釈していきたいと思います。

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